« 2009年04月 | メイン | 2009年06月 »

2009年05月 アーカイブ

2009年05月01日

初姫

初姫(はつひめ)

専門学校・学習関連学習ひろば総合
水族館・旅行関連観光スポット総合
ティータイム美容整形検索エンジン
フィート 最強のビジネス情報
ベーシック・ツーライフスタイルストア-情報
アップフィールド医学百科情報
メタルデテスお買物上手!COM
外国語・語学関連教育ひろば紹介
動物園・交通関連ツアーサーチ
サル・ヴェール美容・エステ紹介

徳川秀忠の四女、京極忠高の正室。
松平定猷の娘、松平定敬の正室。
初姫(はつひめ、慶長7年7月9日(1602年8月25日) - 寛永7年3月4日(1630年4月16日))は、徳川秀忠の四女で京極忠高の正室。母は江。号は興安院。

慶長7年(1602年)、江戸城で誕生。慶長11年(1606年)7月に若狭国小浜藩主の京極忠高の元へ嫁ぐ。忠高の父京極高次の正室初(常高院)には実子がなかったため、初の実妹で秀忠正室の江の生んだ姪に当たる初姫を養女とし忠高と娶わせる事で、徳川家と姻戚関係を結ぶと共に、京極家での初の立場をも安泰なものにするという、一石二鳥の政略だったと思われる。ただし後述するように夫婦仲は悪かったらしく、二人の間に子供はいなかった。

寛永7年(1630年)3月4日に病没。享年29。葬儀は同月14日に小石川伝通院で行われ、同地に葬られた。戒名は興安院殿豊誉天清陽山大姉。細川忠興が細川忠利に送った手紙によると、初姫の臨終の時、夫・忠高はそれを無視して相撲見物に興じていたという。また、初姫の葬儀を行い墓所となった伝通院は徳川氏縁の寺院であり、京極氏は葬儀への立ち会いすら秀忠に許可されなかったことから見て、忠高が初姫をむげに扱っていたのは事実と見て良いだろう。


About 2009年05月

2009年05月にブログ「陽菜は6年生」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年04月です。

次のアーカイブは2009年06月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35